幽体 |
これは、私が東京に住んでいた頃の話だ。 もう二十年ほど前の話になる。 自分の夢を実現させるため上京し、 初めての独り暮らしに、期待と不安を抱きながら・・・。 アパートは西武新宿線のとある駅から歩いて三分ほどのところにあり、 築三十年くらいはたっていただろうか、古ぼけた六帖の部屋と四帖半のダイニング、 それに風呂、トイレがついた二階建てである。 鍵穴を覗くと部屋の中が見える、当時でも既に珍しい、ドアの鍵であった。 なつかしいアパートの話はこれくらいにして、本題に入るとしよう。 ある日、普段より遅くなって布団にもぐり込んだ。 うとうととしていたが、突然足を何ものかに掴まれた感覚に目が覚めた。 しかし、身体は動かない。声も出ない。 金縛りというやつだ。 ずるずると、身体の中身を引き出されるような感じがした。 恐怖心をおぼえた。 そう「幽体」を引きずりだされるような感覚なのだ。 心の中でお題目を唱えた。 すると、すっと身体が軽くなり掴まれている感覚もなくなった。 翌日から時々その感覚に悩まされた。 西側に頭を向けていたのだが、思いついて東側に向けてみた。 そうすると、今度は頭を何ものかが掴んだ。 実際に身体を掴まれているのではなく「幽体」だけを掴まれているのだ。 「殺される」 そう感じた私は、必死でお題目を唱えた。 すぅっと身体から得体の知れない物が離れていった。 そんな事がほぼ半年も続いただろうか、 ある時ふと窓が気になりサッシを開いた。 私の目に飛びこんできたものは、 隣の家の庭にたくさん作られた動物の墓であった。 わりばしで十字架を作って「○○ちゃんのおはか」と 書いてあるのばかりが二十、いや三十くらいはあっただろうか。 ほとんど庭一面がその幼稚な十字架で埋め尽くされていたのだった。 隣の家には小学六年生と小学三年生の女の子が二人両親と住んでいた。 私は昼間家にいないのでわからなかったが、 どうもその子供達が庭に墓を作った日に起こっているような気がした。 ある日曜日、窓の外で子供の話し声がするので、少しだけ窓を開けて覗いてみた。 その二人の子供が庭に穴を掘り、猫を埋めているではないか。 背筋がゾッとした。 その日の深夜、やはり「幽体」を引きずりだそうと何ものかがやって来た。 耳元ではっきりと聞こえた。 「ニャー、ニャー」 猫の鳴き声だった。 お題目を唱えている途中、私は恐怖で気が遠くなってしまった。 翌日、私は大家さんに相談した。 大家さんは笑って「そんなことはありえないわよ」と相手にしてくれない。 引っ越しも考えたが、そんな貯金などありはしない。 考えた揚げ句、近所のお寺の住職に供養をお願いした。 その住職は、家にやって来て隣の家の庭を見るなり、 「これは私が想像していた以上に、酷たらしいですな」と言った。 「私が責任を持ってこの動物たちの魂を成仏させましょう」とも言ってくれた。 それからの三年間は、「幽体」を引きずられる事もなく、 平穏な、そして退屈な日々を送った。 その時の住職には今でも感謝している。 |