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松下 竜一さんのこと 2003/09/25UP

 9月、久しぶりに見た高い空。
溜まった洗濯物を干そうとベランダに出て、空を見上げる。
晴れた空には、もちろん虹は見えない。

 高校生の頃、寄り道した街で見つけた古本屋に、その本はあった。
題名は覚えていない。
ぱらぱらめくったページに「虹の通信」というのがあって、
立ち読みを始めた。
九州の小さな街に住む作家が、
この空にかかる虹を全て仰ぎたいと願い、
もしもどこかで虹を見かけたら「虹の通信」を、と願ったところから始まる。
校庭でボールを追いかけて、ふと仰いだ空にあった虹。
いろんな虹が届けられる。

 その本を読むと、ゆっくりと暖かくなった。
ずっと古本屋に通いながら、いつまでもそこにあることに満足してしまい、
結局買う機会をなくした。

 次に出会ったのは、「豆腐屋の四季」。

 肺病を患う青年が、家業の小さな豆腐屋を支えながら、
折に触れて詠む歌に切なくなり、
またのちに妻となる女学生との歯がゆいほど純情な恋の行方を
見守るような思いで読んだ。
彼はその後、
「貧しさにも病にも負けず、まじめに働く青年」という
自らのイメージを嫌い、あてもなく豆腐屋を廃業して、
作家となる。

 それからしばらく目にすることのなかった彼の名前に再び出会ったのは、
「カンキョーケン」だった。初めてその考えをこの世に示した人として。
「環境権裁判」と、その敗訴で掲げられた
「あはは、負けた負けた」の文章は強く印象に残った。
私は彼の本を再び読み始めた。
貧しさも相変わらずの「松下センセー」は、
みんなの暮らしを脅かしているものと対峙していた。
裁判の素人達が巻き起こす騒動は、滑稽なようでいて実は必死。
でも何故か少し可笑しくて。

 そして今年、ある日の新聞で、「松下竜一さん、脳梗塞で倒れたが、
現在意識を取り戻し、順調な回復ぶり」の記事。
私は何も知らなかった。

 数日後、区役所の「自由にお持ち帰り下さい」の棚で、
「絵本切る日々」を見つけた。
あちこち汚れた古い本。
幾人の手を経てここにあるのだろうか、そっとかばんに入れて持ち帰った。

 ちょうど肺結核が再発して、入院した頃の話だった。新聞記事が目に浮かんだ。
死を身近に感じる病棟での日々。
蔵書を売ってトランシーバーを買い、
寂しがる息子達と「竜隊長」として交信する話。
なかなか作品を生み出すことが出来ず、「三年寝太郎」を思う無名の作家。
「風成の女たち」を書かれる前後の日々だ。
そして今、気がついた。この本も、自費出版だ。

 こうしていつの間にか私の中で、
松下さんは旧知の友ででもあるかのように、なつかしく感じるようになった。
生来気の弱い彼が、それでも運動を続けたことを思い、熱くなるのだ。

 松下さん、どうか元気に復活してください。
お会いできることはなくとも、ここからお祈りしています。

(追記)

松下竜一さんは2004年6月17日に、67歳で亡くなられました。
もう、彼の作品は生まれません。彼の闘争を知ることもありません。