祈り(2)
昨日、母のお葬式が終わりました。
私の身代わりになって死んだのです。
16歳の誕生日、心臓が何かに掴まれて潰されるような感覚に襲われたとき、母はまた「何か」を呟きました。動けない、口も利けない母が呻き声と共に血を吐いて絶息してしまいました。その時、一枚の紙切れが母の身体の上に落ちてきました。母の字でこう書いてありました。

「まゆの身に何か危険が迫った時には、私は喜んで身代わりになります。
どうか、まゆを危険から避けて下さい。」
私の生まれた日の日付と、母の署名。その下に、血で押した馬の蹄のような跡がありました。それはゾッとするほど禍々しく、何もかも覆い隠されていて、考えても考えても、堂々めぐりしてしまいます。

母の四十九日が終り、お寺に遺骨を納めて家に帰ってくると、玄関に見知らぬ男が立っていました。「何かご用でしょうか」
「あの、こちらは井上さんのお宅ですよね、葉子さんという方は?」
「葉子は私の母ですが、先日亡くなりました」
「そうですか。やっぱり。くくくっ、あっはっはっはっ」
と、その男は大きな口を開けて、笑いながら帰っていきました。

それから、4日くらいたったでしょうか。また、男がやって来ました。
「何のご用です」
「あなたは井上まゆさんですね」
「そんなこと、あなたに関係ないでしょう。
いったい何の用で来たんですか
この前、母が死んだと聞いて、あなたは笑いましたね。
そんな人と話をするつもりはありません。帰って下さい」
「そんなこと言っていいんですかね。
まぁいいでしょう。単刀直入に言うと、あなたは私の娘なんですよ」
「えっ、あなたが父?父は死んだと・・・」
「あいつは、私のことを隠しておきたかったんでしょう。」
「そんなこと、急に言われたって信じろと言う方が無理でしょう」
「私を昔から何度も見ているはずですよ。」
「いいえ、そんなことはありません。
私はあなたの名前も知らなかったし、顔も知りません。
それなのに、会ったことがあるだなんて・・・」
その時、私はハッとしました。
小さい頃から、見えないのに人の気配がしたのを思いだしたからです。それも目の前に母はいて、誰か別の人の気配がするんです。家中を捜しまわっても、人はいません。ただ、気配だけがしたのです。

目の前がまっ暗になりました。母が死んだと聞いた時のあの悪魔のような笑い声。母は、望んでこの男と結婚したんじゃない。私だって、こんな男を父とは呼びたくない、思いたくもない。

「そら、思いだしたでしょう。
私は、葉子に裏切られたのですよ。あなた達に、ずっと恨みを抱いてきました。ある日、目を閉じるとこの家の中が見えました。葉子が死んだのも見ていました。この間は、それを確かめに来ました。今日は、あなたに渡ししたい物があったのでね」
「何ですか、お金なんかありませんよ」
「心配御無用。金なんか貰おうとは思ってもいませんよ」と、父と名のる男は胸ポケットから封筒を取出し私に渡しました。
「これで、やっと私の怨みが消える。そう思うと私は笑わずにはいられませんよ。では、これでもうお会いすることもないでしょう。あっはっはっはっ」
一陣の風が吹くと、男は消えていました。

男が残した封筒の中を見て、私は驚愕しました。

「私は葉子を愛していた。
たとえ、人間とは呼べないこの身でも、大事に思う気持ちにかわりはなかった。
まゆが生まれた時、将来何が起ころうとも守ってやろうという彼女の気持ちを汲んで我が友『馬頭』と契約させたのに。
それなのに葉子は裏切った。
私を騙して、徳の高い坊さんとやらに祓わせた。確かに私は人間ではない。地獄の門番『牛頭』だ。だが、私が何をした。何故あいつからあんな目で見られるのだ。愛しい我が子から引き離されるのだ。

苦しみの底で、憎しみが心を満たしていくのを止められなかった。
私は契約書を書いた。
復讐は始まったのだ。」

封筒の中には、もう一枚の紙が入っていました。

「葉子に苦しみを与えてやる。
目、足、手、耳、口、腕、脚、胸、心臓。
まゆが、6歳になった時から1年毎に、最後に死を与えてやる。
葉子の苦しみ、それはまゆの死だ。
もし、葉子がまゆを助けるようなことがあっても、
必ずやまゆの息の根を止めてやる。
私を裏切った者と裏切り者に育てられた者を生かしておくわけにはいかない。」
その下にあるのは、血文字で書かれた「契約した」という言葉と馬の蹄の跡。

私は母を殺した憎いあの男と、あらゆる手を尽くして戦うつもりです。そして、母の呟きの意味がわかったのです。私は毎日祈っています。
「お母さん、私あの男と戦います。私を護って下さい」